早稲田神社

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日本のしきたり / 2020.02.24 更新
「桃の節句」花の香り

冬の冷たい空気に水仙の花が芳しく香っていましたが、今は梅の花が良い香りです。
施設に居る叔母のところへ、ときおり庭の花を摘んで届けます。
老齢で今はすっかり記憶が遠い叔母が、花の香りで何か想い出してくれないか。
記憶が、独りになってしまった寂しさを、きっと埋め合わせてくれる。
そんな想いを一緒に届けます。
少し前に逝ってしまった叔父にも、どうかこの香りが届きますように。

ここ早稲田神社の境内に、ほのかな春の香りを感じます。
みなさまいかがお過ごしですか。早稲田神社通信です。

匂いというのは、直接記憶と感情に繋がるそうです。ふわっと微かに感じた香りに、何だったかなと思うことがよくあります。
この記憶や感情を呼び起こす現象を、「プルースト効果」といいます。
あの長い長い小説「失われた時を求めて」の、有名なマドレーヌの回顧から名付けられました。

もうすぐ桃の節句ですね。桃は可憐なピンクの花をつけますが、ほとんど匂いがありません。
わたしたちがイメージするのは、どうやら桃の実の匂い。
甘くみずみずしい香りに、どんな記憶を思い起こされるでしょうか。

「上巳の節供(じょうしのせっく)」

3月3日はひな祭りです。
上巳(じょうし、じょうみ)の節句といって、3月の初めの巳の日という意味です。
この日は、古代中国では忌み日とされ、川で身を浄める習慣があり、それを上巳節(じょうしせつ)といいました。
日本ではこれを受け、紙や草やわらで作ったひと形で体を撫で、自分の災厄を移して川や海に流して穢れを祓う「上巳の祓(雛送り)」が習慣になりました。
この人形が雛人形の原型です。
平安時代の「源氏物語」にも雛遊びの言葉が登場しています。人形が玩具となり「雛」と呼ばれるようになったのはこの頃からです。

「桃の節句」という名前がついたのは、川上から盃を流し、自分の席に流れ着くまでに歌を詠む「曲水の宴」が催され、その際に桃の花を添えて白酒を飲んだことからきています。
現在のひな祭りの原型となったのは江戸時代。お祝いの日として制度化されました。雛壇のほかに桃の花を飾るなど、現在の雛祭りに近い形になりました。
時代とともに「お祓い」の意味は薄れ、段々競うように豪華な人形と調度品が作られるようになっていきました。

ひな人形は、子の形代と考えて「美しく成長してよい結婚に恵まれ、人生の幸福を得られますように」という気持ちを込めて飾ります。

「桃の花」

ひな祭は、旧暦では4月3日頃にあたります。その頃の旬の花が桃でした。
桃は中国でその花の明るさが冬の暗さを追い払ってくれること、桃の実は生命を象徴するとともに、その香気が邪気を祓う神聖な木とされています。
中国原産の桃は、かつて「邪気を祓うもの」と考えられており、「イザナギノミコト」という神様が、化け物に桃を投げて追い払ったお話が由来です。
また「百歳(ももとせ)」になぞらえて、不老長寿の意味合いもあります。
こうした背景のもと、魔除けと健康を願って飾られるようになりました。
中国には結婚式で桃の形のお饅頭を食べる風習もあり、お祝いに欠かせない存在です。

「雛飾りは節句の当日のうちに片付けないとお嫁に行けなくなる」
という俗説がありますが、そもそもひな人形の原型が、災厄を移してそれを流すお祓いの儀でした。
かつては紙やわらで作った人形だったので、流すのも容易でした。
現在のようなひな人形になってからは、流すかわりに早く片付けることによって、災厄を持ち越さないようにした。それが由縁のようです。

昔の人は節目を大切にしていました。
現代のように時間の余裕がないと、雛段などの飾り付け、まして片付けとなるとたいへんですね。
無理のないスタイルで、伝統を引き継ぐ気持ちを大切にしていればいいのではないかと思います。