早稲田神社

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日本のしきたり / 2020.01.27 更新
「節分」冬から春へ

旧正月も過ぎ、新しい年もすっかり定着しつつある今日この頃。
年始の挨拶を逸した知人に寒中見舞いを書いています。
寒中見舞いというと必ず思い出すのが、かつて新年の挨拶を控えた年のこと。一枚のハガキが届きました。
内容は定例文が一行と雪だるまの絵の印刷があるだけ。形式的なものでした。にもかかわらず、いたく感じ入りました。
それまで寒中見舞いというものを頂いたことがなかったうえ、それを下さったのがとても若い男性だったことが妙に新鮮だったのです。「きちんとしているなぁ」と感心すると同時に、胸がほっこりとしました。
以来、わたしも機あるごとに寒中見舞いを出すことにしています。
その時は、いつもあの一枚を思い出し、今も胸がほっこりとするのでした。

ここ、早稲田神社の境内から、丁寧な気持ちをお届けします。
みなさまいかがお過ごしですか。早稲田神社通信です。

「寒中見舞い」は、喪中の挨拶という認識が強いのですが、賀状の返礼や、賀状をくれた方への欠礼の知らせにも適しています。
本来は寒さのために相手の健康を気遣う便りのことをいうので、形式にとらわれず気軽に出してみるのもいいかもしれませんね。何気ない手書きの便りなどは、案外喜ばれて良いものです。
立春を過ぎても寒さが続く時には「余寒見舞い」として、2月下旬ごろまで出せるそうですよ。

「節分」

本来は「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の前日のことを「節分」と呼んでいました。これらは季節の始まりの日であり、それぞれの前日は季節の変わり目にあたります。季節を分けるという意味から「節分」といいます。
二十四節気では、立春を四季が一巡りした1年の最初の日であると考えられています。なかでも春は待ち望まれた季節であり、2月3日だけを「節分」とするようになりました。
立春の前日を大晦日とした旧暦の頃は、さまざまな祓いの行事が宮中で行われていました。それが変化しながら伝わったのが現在の節分行事です。

「豆まき」

豆まきは、古代中国から伝来した「追儺(ついな)」という行事に由来します。桃の弓と葦の矢で魔物を追い払っていましたが、次第に広範囲にまけて生命力を意味する豆にかわり、「豆まき」として庶民に広がったといわれています。
日本では、穀物には穀霊が宿るとされ、邪気を払う力があるとされています。

大豆は米や麦と同じくらい重要な穀物として、神事に用いられてきました。
また、粒が大きく、ぶつけた時の音も大きいので、お祓いの行事では大豆がよく使用されていたという説があります。

節分の日は、豆まきをして「鬼(邪気)」を払います。
鬼の目「魔目」にめがけて豆を投げることで「魔滅」すなわち魔が滅すると考えられています。
豆まきに用いられる豆は炒り豆です。生の豆から芽が出てしまうと縁起が悪いためです。また「炒る」が「射る」にも通じます。
「豆を炒る」は「魔目を射る」であり、「魔滅」となります。

「鬼」

陰陽道では、年越しにあたる節分の夜は、1年の中で陰から陽へと秩序が最も変わる日とされ、このような日には鬼や魔物が現われると考えられていました。
豆まきは、それらを追い払うための行事です。
「鬼」の由来は、「陰(おに)」と言われ、姿の見えない災いなどの象徴です。
「陰」とは、目に見えない気、主として邪気のことをさしています。
また、隠れているものとして「隠人(おんにん)」が変化したという説もあり、形の見えない災害、病、飢饉など、人間の力を超えた恐ろしい出来事は鬼の仕業と考えられていました。
鬼は鬼門である丑寅の方角に住むので、姿を牛(丑)の角と虎(寅)の牙を持ち、虎の皮の衣服を着けていると考えられていたようです。

早稲田神社でも「節分祭」が行われます。豆まき神事のほか、節分の由来についてのお話もございます。
この機会に、どうぞ早稲田神社へお越し下さい。

【お知らせ】
令和2年2月2日(日)10:00~ あおぞらふれあい市
令和2年2月2日(日)14:00~ 節分祭