早稲田神社

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神事や祭礼・早稲田神社について・日本のしきたり / 2019.10.14 更新
収穫の感謝「秋季例大祭」

牛田の町には、まだ田んぼがあちこちに残っています。ちょっと前には青々としていた稲も、ここしばらくのうちに黄金に色づき、たわわに実った稲は重たそうに実の房を垂れています。いよいよ収穫の時季も間近です。
ところで牛田の町名の由来は、いろいろあるようですが、そのひとつに「田んぼが多く、牛が水田を耕していたから」という説もあるそうです。
そして早稲田という町名、実はこの早稲田神社を起因としているということをご存じでしたでしょうか。
古くは水田が大部分を占める農村地帯であったところに、その名を多く残しているそうで「早くに稲が実ることを意味する」との説もあるとのこと。
神社と稲作は、古来よりとても深いつながりがあるようですね。
かつては牛田のあちこちにあった田んぼも、気付けば今は、早稲田町とその付近に限って残っているように見えます。その名の由来のとおり、遠く昔からどれほどか、田んぼが多く農耕の土地であったのかが窺えるようです。
そう考えると、毎日いただくお米ひと粒にも、感慨深さを感じますね。

ここ、早稲田神社の境内から、古(いにしえ)を見守ります。
みなさまいかがお過ごしですか。早稲田神社通信です。

「礼大祭」と「お祭り」

日本各地の神社では、通常春と秋の決まった時期に定例のお祭りが執り行われます。これを例大祭といいます。
それぞれの神社には、氏の祖先としての氏神を祀り神としています。それとは別に、その土地の農耕を司る、産土神(うぶすながみ)の存在が神道の根幹にあります。産土神とは、古来より農耕民族であった日本に共通する、その人の生まれた土地を守る神。鎮守(ちんじゅ)の神です。
例大祭は、その自然神に捧げるお祭りです。
春は農作の作付けの無事を祈り、夏は作物の成長を祈ります。そして秋は収穫の無事を祝い感謝する。その祈りと感謝が、それぞれのお祭りの本来の意図なのです。
農耕の神さまは、春の田植えの時季に山から下りて田の神となり、秋の収穫ののちに山へ上がり、山の神となります。
冬へと向けてお帰りになる神さまを、お見送りする大切な神事が「秋のお祭り」なのです。

「早稲田神社の秋祭り」

10月19日には、前夜祭ならびに神幸祭(しんこうさい)を執り行います。神霊が宿った神体や依り代などを神輿に移してお渡しする儀式です。
そして夜には、盛大な送り出しと感謝の意をもって、神楽の舞が神様へ捧げられます。神楽(かぐら)は、日本の神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞です。
例年に引き続いて北広島町の「富士神楽団」による、神楽の舞の余興でございます。時は明治の石見神楽をルーツに発足した伝統の神楽団です。絢爛迫力の舞踏です。みなさま、この機会を逃さずご覧ください。

翌20日の秋季例大祭当日は、いよいよ神様がお乗りになったお神輿が町内を練り歩きます。神様が神社を出て、わたしたちが住む地域を巡回なさいます。家々の前をお通りになる神様に、ご拝謁できるまたとない機会です。
そして担ぎ手となる子供たちの姿は微笑ましく、また氏子衆の威勢も、わたしたちの住む牛田の町を新鮮な活気に満たしてくれます。

町の田や畑はもちろんのこと、道端に咲く小さな草花や庭先の木々にも神様が宿り、わたしたちの生活や日常を、その土地の自然神がいつも見守っていて下さるのではないでしょうか。
ぜひみなさま、感謝の温かな気持ちとともに、秋の大祭を愉しんで頂きますよう、心からお祈りいいたします。

【お知らせ】
10月19日(土)
「前夜祭」17時半より
18時半 神楽
「北広島町 富士神楽団」
■ 演 目
葛城山
塵倫
八岐の大蛇
恵比寿

終了後、神楽団による餅まき。

10月20日(日)
「秋季例大祭」9時半より
13時半 子供すもう
18時半 演芸大会
終了後、餅まき。


天皇陛下の御即位を広く披露するための「即位の礼」が、10月22日(火)から31日(木)までの間、国の儀式として行われます。
陛下のご即位を祝って、ぜひご参拝ください。

最後に、台風19号で被害に遭われた地域の方々、一日も早い復旧と回復を、心よりお見舞い申し上げます。