早稲田神社

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日本のしきたり / 2019.11.11 更新
「七五三」七つまでは神のうち

11月15日は、七五三の日です。この時期は、早稲田神社にも七五三のご参拝に、たくさんのご家族がお見えになります。
かつては飛込みで来られる方々も多かったのですが、昨今ではご予約頂いてのお詣りも増えて参りました。正装されての記念撮影に、プロのカメラマンを同行されるご家族も増えました。お子さまの成長の記念に、写真をたくさん残されるのは良いことですね。
そんな中、お母さまとお嬢さまお二人だけでいらした姿もとても印象に残りました。お子さまにはきちんと晴れ着を着せられて、お母さまは軽装で。お二人だけでのささやかなご参拝。これもとても良い光景でした。おいそがしい中、大切なお子さまのお詣りだけはきちんと。そんな思いが手に取るように伝わり、胸が温かくなりました。

お写真の撮影など、どうぞご遠慮なくお申し付けください。神職、職員ともに心を込めて対応致します。お詣り時の服装も、神さまに失礼のないことを意識して下されば、そのお気持ちに配慮致します。
かしこまらずにふらりとお越しいただける。そんな身近さをいつも心に留めております。

ここ、早稲田神社の境内では、温かな気持ちを大切にします。
みなさまいかがお過ごしですか。早稲田神社通信です。

七五三

7歳までは神の子といいます。かつて日本人は七歳になって初めて人として一人前扱いされてきたそうです。そして七歳になるとその子供は氏子として氏神に認められます。「氏子入り」とよんで氏神に参拝し、産土神からも地域社会からも社会人となったとされます。それまでに三歳五歳と区切りをつけ成長を確認していくという風潮がありました。この氏子参拝の日を農業収穫も済んだ11月15日に定める場合が多かったのだといいます。

11月は秋の実りを神に感謝する月です。その月の満月にあたる15日に、氏神に収穫の感謝をするとともに子供の成長の感謝と祈願をしました。
また、奇数を重んじる中国の思想の影響をうけながら武家中心の江戸時代に固定化され、奇数はめでたいとされたところから、行事の名称になりました。

七五三の祝い

「髪置き(かみおき)の儀」 3歳の男女の祝い
髪を伸ばし始めるお祝いです。
平安時代は、男女とも生まれて七日目から髪を剃り、3歳の誕生日になって初めて髪を伸ばす風習がありました。乳児の頃に髪を剃ることで、やがて健やかな髪が生えてくると信じられていたからです。
髪置きの儀は、絹糸真綿でつくった白髪を頭にかぶせ頂に白粉(おしろい)をつけ、くしで左右にすいて祝う儀式で「櫛置きの儀」ともいいます。「髪が白くなるまで長生きするように」という願いが込められています。また、子供ながらも一人前に成長していく証でもありました。
髪型は年齢や身分や立場を表し、もともとは武士の社会でのお祝いでした。髪置きの儀も、鋏で鬢を挟むまねをし、綿を額より後ろに撫でかけて熨斗とともに水引で結んでいたようです。

「袴着(はかまぎ)の儀」 5歳の男子の祝い
袴を着け始めるお祝いです。
この年齢から男女異なる衣服をつけるようになり、男の子は袴を身に着け始めます。江戸時代から男の子だけとなりましたが、もともとは男女の風習であったようです。また「碁盤の儀」ともいって、皇室に今も伝わる古い儀式でもあります。陰陽道では、碁盤は宇宙を表します。碁盤の上に立ち地面に向かって降りることで「世界の上にしっかりと立ち、碁盤の目のように筋目正しく美しく育つように」との願いが込められています。

「帯解き(おびとき)の儀」 7歳の女子のお祝い
帯を締め始めるお祝いです。
それまでは付け紐で着物を着ていた女児が、この歳より付紐のある着物をやめ、本式の帯を締める着物に切り替えます。これを紐解き・帯解きなどといいました。この日からは一人で帯を結べるようになり、一人前の人間として社会に認められるけじめの儀式です。

「千歳飴」
七五三のご祈祷頂いたご家族には、千歳飴をお渡ししています。
千歳飴は紅白の棒状の細長い飴です。飴は引っ張ると伸びることから、健やかな成長と長寿を連想して「幼いわが子の千歳までの長寿を祝って食べる」というのが由来です。
かつては縁起をかついで「折ってはいけない」とされていましたが、最近はそうでもないようです。電子レンジで温めて少しやわらかくすることで、切れやすくなります。どうぞ食べやすくしてお召し上がり頂ければと思います。

11月中は15日を過ぎても、七五三のご参拝を賜っております。
ご祈祷は、お待ち頂くことはございますが、必ずしもご予約頂かなくとも対応可能です。
どうぞ皆さま、お気軽にお越し下さい。心よりお待ちしております。