早稲田神社

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早稲田神社について・日本のしきたり / 2017.08.18 更新
なぜ、花火大会は夏の風物詩なのか!? その謎に迫る! ~暴れん坊将軍が咲かせた鎮魂の華~

日本の夏の風物詩といえば『花火』
広島県でも「宮島水中花火大会」や「みよし市民納涼花火まつり」など有名な花火大会があり、毎年1度は見に行く方も多いのではないでしょうか。

色とりどりの花火が夜空に打ちあがる様子は、子供から大人まで夢中になれる素晴らしい催し物ですよね。

さて、そんな大人気の花火大会ですが、何故か夏ばかりですよね。
その理由はご存知でしょうか?

花火大会がなぜ夏に行われるのか、その謎に迫ります!

花火は江戸の住民の慰撫と慰霊の為に行われるようになった!

時は享保18年(1733年)
江戸の町は暗い雰囲気に包まれていました。
この前年に江戸四大飢饉にも数えられる、享保の大飢饉が起きていたからです。
一説によると、969,900人もの方が亡くなり、250万人以上が飢饉に苦しんだそうです。

暗く沈んだ江戸の町をなんとかしようと、江戸幕府8代将軍 徳川吉宗は祭を行うことを決めました。
亡くなられた方の慰霊と飢饉が再び起こらないよう祈願をこめて開催されたお祭り。
それが「両国の川開き」と呼ばれる隅田川で行われた水神祭です。

このお祭りの時に、両国橋周辺で花火を打ち上げたのが日本最古の花火大会でした。

「両国の川開き」は今では隅田川花火大会と名前を変えて、今でも親しまれています

このように、最古の花火大会は鎮魂と祈願の為のものとして生まれました。

天に一番近い場所で咲く花だからこそ鎮魂に最適とされました

推測ですが、花火は亡くなられた方を送る為の送り火であり、手向ける花と考えられたのではないでしょうか。その上、神様に奉納する太鼓にも似た花火の音。天に一番近い場所で大きく咲く花は、亡くなられた方や神様にしっかりと届きそうですよね。

当時、花火を見ていた江戸の人達にとっても、一瞬で咲き誇り余韻を残しながら消えていく様は、亡くなられた方を偲ぶ気持ちにさせるだけでなく、明日から切り替えて頑張っていこうという前向きな気持ちにさせるものとなったのではないでしょうか。

だからこそ、世界大戦等戦時中に一旦その開催が禁止されたとしても、蘇って現代まで続いているのだと思います。

他の花火大会に関しても、送り盆の送り火や神様への奉納として打ち上げられるようになったのが由来の所が多くあります。

花火大会が夏メインだった謎の真相は、送り盆の時期に魂の鎮魂の為に打ち上げられるからというわけです。

おわりに

いかがでしょうか。冬は寒いから夏に打ち上げてる……そんな理由ではないんですよ。
まだまだ暑いですが、もう立秋となり秋の足音が聞こえつつあります。
本格的な秋の訪れの前に、もう一度花火を見てみると、普段とはちょっと違った気持ちで見れるかもしれません。

今週末、来週末とまだ広島県でも花火大会があるので、足を運んでみてはいかがでしょうか。